空想ノート雑記

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金木犀と真昼の月

 お題は診断メーカー「依頼です、物書きさん。」より、「大切な人をずっと待っている物書きと前世から愛してるという電波な子との喜劇書いてー。」です。
 続きを読むから本編。

 今年も庭の金木犀が咲いた。
 無言のまま、俺は開け放った窓から忍び込む芳香に浸る。繊細なだいだい色の小花から溢れる匂いはともすれば酔ってしまいそうなほどだ。
 肘をつく机の上には資料やレポートが乱雑に積まれていた。落書きや没にしたプロットがフローリングの床を覆い隠している。踏めば滑るから片づけろと親に言われているが、俺はほんの少しだけ露わになっている床を飛び石のように渡っていく技術を会得している。
 それにこれは侵入者対策でもある――
「っだあ!」
 紙が散らかる音と、人がこける重い音がした。やれやれと首を振り、振り返る。
 いたたた、と腰をさすっているのは学生服の少女だ。近所の中学指定のセーラー服はめくれてあられもない姿になっていたが、コレに色気を感じるのは無理だ。年下すぎるし、中身がナイ。
 俺は机の上の写真立てを寝かせながら声を掛けた。
「スカート直せよ」
「うー、心配くらいしてよ、まもちゃん!」
 誰がまもちゃんだ、と毒づいたところでこの少女――空木月乃は聞きやしない。
「なんで興味のない女のパンツなぞ拝まなきゃならないんだ。エロとグロは紙一重、お前にエロはない」
「相変わらずひっどー! でもそーじゃなきゃ、まもちゃんじゃないよねー」
 立ち上がった月乃は、椅子に座ったままの俺の首に手を回す。金木犀の匂いの中に、ミントの清涼な香りが混ざる。香水ではなく制汗剤だろう。
 今どきの、という枕詞をつけるのを躊躇うほど月乃は規則からはみ出さない。そういうところが嫌いじゃないから、こうやって抱きつかれることも許容しているのだろう。
「まもちゃん大好きー」
 首筋に月乃の髪がこすれてこそばゆい。
「俺はお前のこと好きじゃないよ」
「私は好き」
 この問答も何回目だろうか。いたずら心と少しばかりの呆れ、それから鬱屈した何かが鎌首をもたげた。
「……お前以外に心に決めた奴がいるっつっても?」
「いいよ。自分が好きになった人が自分を好き、ってさ、都合良すぎてそれだけでおなかいっぱいじゃん」
 腕を緩め、月乃は俺の顔を覗き込んで笑う。俺の方が面食らって言葉を失った。
 その笑顔は無邪気なものではなく、すでにそういう経験をしてきたような――大人びた、という言葉では表せないような重さがあった。
「というかー、まもちゃんの心が揺れちゃうくらいのイイ女になっちゃえばもーまんたいでしょ?」
「……いちいちネタが古いよな。『まもちゃん』だの無問題だの」
 流行った頃にはお前まだ物心ついてなかっただろ、と突っ込めば珍しくうろたえる。
「そ、そんなことないでしょ? まだ私の中じゃ現役だもん」
「お前と同い年の奴に通じるか、それ?」
 月乃はうだうだと言い訳を繰り広げたが、結局黙って首に顔を埋めてくる。月乃の頭を軽くたたきながら、俺はため息をついた。
「はい顔上げーい。落ち込むな。落ち込むなら俺のいないところで落ち込め」
「まもちゃんが振り向いてくれればすぐ立ち直っちゃうんだけど」
「いい加減諦めろよって」
「諦めないよ。というか、私がまもちゃんを好きなのは前世から決まってるからねー」
「電波乙ー」
 あ、語尾うつっちまった。
 それから少し話をして、月乃は帰って行った。
 俺は嘆息して、伏せておいた写真立てを起こす。
 写っているのは一組の男女だ。片方は高校時代の俺。その隣の女子高生は俺の幼なじみで、名前を空木まひるという。
 同じ名字ではあるが、月乃とまひるの間に血縁関係はない。正真正銘赤の他人だ。
 八年前の秋に失踪したきり、彼女の消息は分からない。彼女の両親は一年前に失踪宣告を請求して遠くへ引っ越してしまった。その空き家に引っ越してきたのが、月乃の家族だ。
 窓の外で金木犀の葉がさざめき、匂いが強くなる。風に飛ばされたのかだいだい色の小花が机の資料の上に落ちた。
『ねえ、まもちゃん。金木犀の花言葉って知ってる?』
 ふと、彼女の声が脳裏に浮かび上がる。
『便所?』
『ちがーう。謙虚、とか陶酔、とか』
『謙虚ってイメージじゃねーけど』
『あはは。匂いだけして姿は見えず、ってことじゃない? 後はね、初恋とか……』
 指先で花をつまみ、匂いを嗅ぐ。どうしてこんな小さな花からあれだけの香りがするのだろう。
 彼女がいなくなる前日に残した言葉は、八年経った今でも鮮やかに思い出せた。
「……真実の愛、か」
『くせー、金木犀だけに』
『言ってなさいよー。素敵じゃない、どういう理由なのかは知らないけどさ』
 俺はずっと待っている。月乃には気の毒だけれど、俺はただ一人を待ち続ける。
 金木犀の匂いを嗅ぐたび、そう強く思うのだ。


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 コンセプトとしては、最近はやりの乙女ゲー転生風中学生と在宅勤務な野郎のラブコメ風味。
 反省点は喜劇じゃないし月乃の電波が弱いところ。電波が弱いのは月乃をけっこう話が聞ける子に設定したからでしょう。自分にはコメディ的な空気を作るのは難しいですね。修練あるのみ。
 この後、『まもちゃん』が月乃に撃墜されるのか、はたまたまひるが帰ってきて三角関係的な何かに突入するのか。いやあ楽しみですね(他人事)。

 金木犀のその他の花言葉は「謙遜」「真実」「気高い人」など。