ベンとビオレッタ、あるいは名無しとヴィオラ=ロングフェロー
フリーワンライさま(@freedom_1write )の企画に参加したショートショートです。遅刻・ネタバレ全開だったのでタグはしていません。虚空の旅人より、アンジー登場の少し前くらいの話です。
お題は○○笑い、眠るなら一人がいい。
眠るなら一人がいい、というのはブロウエンの談だ。
天上においては妻子もいた(自称)彼だが、今は誰かが近くにいると気が散るのだという。休息が必須ではないこの世界においても、いや、だからこそ、睡眠の質というものは重視される。激怒のあまり、ちょっかいを出してきた同僚を報復として塔から逆さに吊す程度には。
とはいえ、とベンはあくびをした。それほど気にしないタイプがいるのも事実だ。かつて同僚だったエドガーはどこでも寝られると言っていた。雑魚寝でも、下が砂利だの泥だのでもあまり気にしないと。
番外として、ここ十年全く消息の知れないブルーバードは、こちらに来てから一度も寝たことはないという。グラッドもよく寝そべってはいるが、力の悪魔は中にいる連中が騒ぐから眠ることはできないそうだ。ただ眠りたいか、という問いには否と答えていたから不都合はないらしい。
ベンは手元の書類に目を落とした。この拠点サウスポールエイトケンにて異邦人の研究を担当する彼は、どちらかと言えば寝る時は一人でゆっくりと眠りたいと考えている。そして、彼には眠る時間もないほど仕事があることもまた、理解している。
夜も半ばだ。
衛星が放つ散るような光は、見ているこちらの気も散らす。だから木戸をしっかり閉めて、アカリ石を煌々とつけた部屋で作業する。ふと脳裏を過ぎるものがあった。ずっと昔に、同じことをしていたような気がした。だが記憶を手繰り寄せる前に、その既視感は散ってしまう。
入口の壁がノックされ、ベンは顔を上げた。ほとんど同じタイミングでこの拠点に来た、同期とも言える才媛が立っている。
「……ああ、ビオレッタ。どうしたんだい、こんな時間に」
「自覚があるなら結構。あなた、五日前から寝ていないでしょう。睡眠は私達に許された唯一の安息よ。根を詰めるのは良くないわ」
「とは言ってもだね。これのチェックを明日に回してしまうと、アンダーソンとの外出が取り止めになってしまう。あの子ががっかりするところは見たくないんだ」
眠気のあまり意識が朦朧とすることはないから大丈夫だ、と笑うと、ビオレッタは気分を害したようだ。
「あなたは優しすぎるわ。確かにあの子はいい子よ。あなたの気持ちも分かる。でも、自分の気力を削ってまですること?」
痛いところを突かれたなとベンは笑って誤魔化した。そして、書類をひとまず置く。
「なあ、ヴィオラ。私は天上のことを全く覚えていないんだ」
「……知ってるわ」
“ベン”という名前も、彼を拾った青い鳥が仮につけたものが定着したに過ぎない。ヴィオラ=ロングフェローという本名がはっきりしている彼女と反対に。
「だから、ここでのことを大切にしたい。悲しませたくないんだ。苦労するのが私だけなら、気にならないんだよ」
私は君のように仕事を上手にこなせないが、と笑って付け足す。理由をきちんと説明したというのに、ビオレッタの眉間には皺が寄ったままだ。ため息をついて、カツカツと靴音を鳴らしてベンの前に立つ。
「貸しなさい」
「え」
「貸せと言ってるのよ。統括官だもの、あなたの仕事は把握してるから問題ないわ」
「しかしだね、そうしたら君が休めないじゃな……」
あまりの眼力に黙らざるを得ない。
その隙に置いてあった書類とガラスペンを奪われ、彼は情けない声を上げた。
「言っておくけどね、あなたが仕事を抱えて疲れた顔でフラフラしてれば、アンダーソンは気づくの。そして不安がる。なら休んで気力を回復するのも務めじゃないかしら」
「ヴィオラ、君は……」
「いいからとっとと寝なさい」
「ハイ」
ベッドまで追い立てられ、ベンはすごすごと横になった。息をつくと、今まで耐えてきた疲れが押し寄せるようにまぶたを引っ張り降ろした。思ったよりも疲れていたようだ。少しだけ抵抗し、素直じゃないが優しい彼女の背中に言葉をかける。
「……ありがとう、ヴィオラ」
こうやって誰かが近くにいる、というのも案外悪くないものだ、と安らいだ笑みを浮かべながら。
「まったく。本来保護者をすべき男は、どこで何をしているのかしらね」
紙のこすれる音とビオレッタのぼやきを最後に聞いて、ベンは静かに暗い安らぎへ身を委ねた。