ある夏の午後にて
フリーワンライさま(@freedom_1write )に参加したショートショート。
Kの水葬から川崎と、設定はあったのに登場しなかった川崎の妹の話。
お題は瞳から大粒の雨。
突如ボロボロと泣き始めた妹に、普段から仏頂面を崩さない川崎もぎょっとした表情でページをめくる手を止めた。
特に会話をしていたわけでも、ふざけて小突いたわけでもない。そもそもこの妹と一緒に生活したのは高校三年間のみである。今年の春に和解したとはいえ、まだまだ二人の間に漂う空気はよそよそしい。同じ部屋にいてお互いを気にせずに別々のことに集中しているあたり、この顔の似ていない二人がまぎれもなく兄妹であることは確かなのだが。
川崎にとっては盂蘭盆に合わせた帰省だった。妹からすれば他称・兄が泊まりに来ているという印象だろう。その中に無言で泣き出す理由を見いだすことはできない。そんなに生活空間に他人がいるのが嫌なのか。だったら春に下宿まで突撃してきた一件は何なのか。
……川崎は持っていた本を閉じた。認めよう。自分は混乱している、と。
「チカ、どうした」
返事はない。
「鼻水垂れてるぞ」
ティッシュボックスが飛んできた。
顔面で受け止めたそれを愛(チカ)に投げ返す。運動音痴の兄と違い、病弱なくせに運動神経は妙にいい妹は、大暴投された箱を手を伸ばして受け止めた。涙はどうやら引っ込んだようだ。ふてくされたまま目元と鼻の下を拭っている。
「お兄さんってこれ以上ないほどのバカ? なんで鼻水をピックアップして指摘してるの?」
「一度目は返事がなかったし、体調不良かと思ったから」
「……」
返答できずに、愛は再度黙り込んだ。
川崎は縁側から腰を上げて妹のそばへ移動する。愛は膝に本を置いて、柱を背に座り込んでいた。……絵のない絵本の冒頭。泣く要素はないはずだ。
「調子が悪いのか」
「……そうじゃ、ないけど」
きまりが悪そうに愛は視線を逸らす。
「なんか……その」
「チカ?」
愛は膝を抱える。こういう体勢になると、この小柄な妹は本当に小さくなるのだ。そのままごにょごにょと呟く。
「本当なら、これが当たり前だったんだなあって思ったら、その、申し訳なくて」
別々に暮らしていたのは、愛が病気を患っていたことによる。愛は入院し、母はそれに付きっきりになってしまうからと川崎は田舎に預けられた。
だが、まあ。
川崎は無言で愛の頭をひっぱたいた。
「は!? 叩く? 普通ここで叩く!?」
「申し訳ないって、誰に」
「え、お兄さんに決まってるじゃん」
「じゃあもう一発」
「意味分からない!」
別の衝撃に涙を浮かべている妹の頭をぽんと叩いて、川崎は縁側に戻った。胸ポケットからオレンジ色の煙草の箱を取り出して見せる。
「普段俺はこういうものを好んでいるわけだが」
「え、お兄さん煙草吸うんだ。ほかの人のヤニが移ったんだと思ってた」
箱をポケットに戻し、川崎は本を開いた。
「煙草を我慢してもいいと思うくらいには、お前が好きだと思っている」
一分ほど無言の間が空いて、背中に鈍い衝撃が走る。軽くむせながら振り返ると、すぐ後ろで愛が背を向けて座り込んでいた。
「……バカ」
「そうだな」
そして背中合わせになったまま、二人はそれぞれの本に没頭する。